インタビュー

第13回 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長・松谷孝征さん

『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』など、誰もが一度は手塚治虫の漫画をドキドキ、ワクワクしながら読んだ経験があることと思います。2014年は、手塚治虫先生の没後25周年でした。そしてその節目の年に、亡くなるまでの16年間マネージャー役を務めた、株式会社手塚プロダクション代表取締役社長の松谷孝征氏が書籍『手塚治虫 壁を超える言葉』を上梓。子どものことを「未来人」と言い、漫画を通して子どもたちにメッセージを送り続けていた手塚治虫先生の言葉を「キッズイベント」も伝えたいと思い、インタビューをお願いしました。(インタビュー:2014年12月3日(水) / TEXT:高木秀明 PHOTO:大久保景)

“漫画の神様” 手塚治虫の言葉が一冊の本に!

ー 小学生のときにケガをして2ヵ月ほど入院していました。それ以前から手塚作品のファンでしたが、ブラック・ジャックは、その神業的な手術の腕も、生き様も、憧れの人物でした。

『ブラック・ジャック』※1の連載は、私が手塚プロダクションに入社したのと同じ1973年にはじまったんです。この年はアニメーション専門の「株式会社虫プロダクション」と、版権・出版・営業部門となる「虫プロ商事株式会社」の2つが倒産した、そんな時期でした。手塚は集中して漫画を描く時間がなくて、とても連載を何本も描けるような状態ではありませんでした。1972年から1973年は本当に漫画を描けていなかった。しかし倒産によって借金は抱えたけれど、それでスッキリしたんだと思います。漫画を描く時間もできたことで、それまでとその後では、描いた分量が全然違いますから。『ブラック・ジャック』は、そんなときに生まれた作品でした。

手塚治虫のマネージャー 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征インタビュー

※1 『ブラック・ジャック』
無免許の天才外科医ブラック・ジャックが活躍する医学ドラマ。その天才的な外科手術の技術により、あらゆる医者から見放された患者たちが最後の望みを託してやってくるが、その代価として莫大な代金を請求する。「医療と生命」をテーマとし、当初は短期間で終了する予定だったが、定期不定期合わせて10年近く続く長期連載作となり、手塚治虫の代表作のひとつとなった。

手塚治虫のマネージャー 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征インタビュー

ー 今回上梓された書籍『手塚治虫 壁を超える言葉』※2 は、松谷社長にとって初めての書籍ですよね。執筆のきっかけは?

きっかけは出版社からの依頼でした。手塚治虫が亡くなった当時も、「手塚治虫のことについて書きませんか?」という話はあちこちからありましたが、そのときは手塚が残していった仕事もたくさんあって忙しかったし、そんな気持ちには全然なれなくて、ずっとお断りしていました。こういう本は、僕が会社をリタイアした後で、当時を思い出しながらのんびり書こうかと思っていました。でもそんな依頼があって、多少物忘れも進んできましたので(笑)、今のうちに書いておいた方がいいかなと思ってまとめました。

※2 『手塚治虫 壁を超える言葉』 (松谷孝征(著)/かんき出版/1,400円+税)
「漫画の神様」と呼ばれた巨匠、手塚治虫。生涯で15万枚もの原稿を描き上げ、アニメーション制作に奔走した。その地位や才能に甘んじることなく常に努力を続け、亡くなる直前までペンを握り続けた手塚治虫の言葉を、手塚が亡くなるまでの16年間マネージャー役を務めた、現在、株式会社手塚プロダクション代表取締役社長の松谷孝征氏が紹介。人生を前向きに送るためのヒントが満載。手塚治虫が遺した言葉と、その背後にある人生哲学とは。

ー 今年(2014年)は手塚先生が亡くなって25周年ですが、それは関係していますか?

どうだろう。依頼がなければ書いてなかったから。依頼されたのがちょうどその時期で、私しか知らないこと、わからないことを書いておいてもいいかなと。本当はもっとたくさん書こうと思っていたんですよ。でも発売が決まっていて、手塚治虫じゃないけど、締切に全部は間に合いませんでした。この本、あっと言う間に読めちゃうでしょ?

ー それでは、もしかしたら続編とか?

それはないですよ(笑)。山ほど書きたいことがあっても、手塚治虫にとっていいことばかりじゃないから。悪いことの方がおもしろいこともあるし。でもそれは抜いて、私が思っていることを書いておこうと。そしてみなさんの手塚治虫に対する誤解が解けたらいいなと思いました。

ー 誤解? 手塚先生はどのように誤解されているのでしょうか?

身近な人間でもそうですが、手塚治虫はものすごく嫉妬深かったんじゃないか、とか。でも手塚治虫のそれは、向上心につながる嫉妬なんです。いかに多くの人に読んでもらえるような漫画を描くか、それを常に持っていて、とにかく一生懸命だった。それが、ちょっと誤解されていたりするので、書いておかないといけないかなと。

手塚治虫が漫画を通して、子どもたちへ伝え続けたメッセージ

手塚治虫のマネージャー 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征インタビュー

ー マネージャーをする前、松谷社長は編集者でしたが、手塚先生の担当をされていたのですか?

『漫画サンデー』(実業之日本社)という雑誌でグラビアや読み物のページを担当していたので、手塚治虫とは会ったことがある、という程度でした。しかしある時、他の雑誌に比べ10万部くらい差が出てしまい、その理由は漫画だということになった。そこでグラビアをなくして漫画を増やすことになり、手塚の担当になったんです。

ー それではその頃は特に手塚作品のファンとか、思い入れがあったわけではなかったんですか?

ないないない。手塚も『漫画サンデー』に連載はしていましたが、ほとんど読んでいませんでした。子どもの頃、小学6年生くらいまでは『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『リボンの騎士』を読みましたが、それ以降はパタッと読まなくなった。でも僕らの年代は、だいたいそんな感じでしたね。その頃、漫画は月刊誌で、私の下の団塊の世代になると、昭和34年(1959年)に『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』が出版され、内容的にも中学、高校生でも読めるようなものになっていきました。

ー 一緒に仕事をするようになって、手塚先生の見方は変わりましたか?

手塚担当になり、100ページほどの原稿をとるのに2ヵ月半ほどはヒマだったので、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』を読み直したり、40巻くらいの全集があったのでそれを読んで。そうしたら、子どもにこんなメッセージを伝えていたんだと、改めて知りました。『漫画サンデー』で描いていたものも単行本になった作品は読んでみて、ナンセンスタッチでストーリーものを描くなんて、これは冒険だなとか、手塚治虫って“凄いな”と、そこで改めてというか、初めて感じました。だって私は最初、『漫画サンデー』に漫画を増やそうとなったときに反対したんです。「新年の増刊号で本誌に前後編の企画が出されたとき、今さら手塚治虫じゃないでしょう」って。でも「手塚治虫がいいよ」という人がいて、その人は連載の担当もしていたから、手塚の凄さを良く知っていたんでしょうね。

ー 16年間仕事をして、一番影響を受けたのはどういうところですか?

やっぱり仕事ですよね。手塚は本当によく仕事をする。私らは仕事なんて大っ嫌いでしたが、普通はみんなそうですよね。でも手塚治虫は嬉々として仕事をするんですよ。本人にはそのつもりはないのかもしれませんが、締切に追われて目一杯の状況なのに、新しい雑誌が出ると「描きましょう!」となる。そういう意欲はものすごいですよね。「先生、もうこれだけ忙しいんだから、新しい仕事は入らないですよ」と言うと、「あなた知ってるでしょう。私は仕事量が少なくたって多くたって、締切は遅れるんですよ」と返ってくるんですよ。

ー 開き直りのような感じでしょうか?

開き直りというよりも、本当に描きたくてしょうがないんですよ。描きたいアイデアが次から次へと湧き出てくるんですね。

ー その発想の源は何でしょうか? 書籍にもテレビ、映画、舞台を観たり、情報収集は熱心にされていたと書いてありますが。

仕事中でもテレビは常についていて、もちろん集中しているときは聞こえないでしょうが、ニュースを観たり新聞を読んだりしているなかでヒントを見つけて、「あっこれ描かなきゃ!」って思うんでしょうね。

そして何より、やはり戦争体験が、とても大きな、一番の原動力だったと思います。あのような悲惨な出来事を間近で見て、自分は漫画が好きで、漫画が描ける。これは絶対に子どもたちに伝えなければいけないという使命感みたいなものがあったのかもしれません。そうでなければ、亡くなる最後の最後まで、起きあがれもしないのに必死になって起きあがろうとして「頼むから仕事をさせてくれ」と、あんなふうに仕事をすることは、私には考えられません。私ならどうしようもない病気になったら南の島にでも行って、なんてそんなことを考えますが、仕事をしたがるとは。だから仕事じゃないんですよね。手塚治虫にとっては。きっと。

手塚治虫のマネージャー 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征インタビュー

ー それは戦争体験を後世に残したい、よりよい社会にしたいという想いなのでしょうか?

手塚は戦争で体験したことを描いているわけではないんですよ。いつも3つのこと

① 戦争の悲惨さ
② 平和の大切さ
③ 命の尊さ

を言っていて、原点はみんな “命の尊さ” ですが、それも命は人間だけじゃなくて、動物も植物もみんな生きていて、地球だって生きているという考えで、そういう命の尊さを子どもたちに伝えていかなければならない、だから戦争は二度としてはいけない。平和の大切さを漫画を通して伝えていかなければ、という使命感だと思います。

私は手塚が亡くなったときに、ひとつ宿題が、いや、宿題はいっぱいあったんですが、その中のひとつに、ある出版社からの依頼で、手塚が書いたことや講演などで話したことを一冊の本にまとめるという仕事があって、亡くなる2年くらい前に手塚が「やります」と返事をしていたんです。もちろん忙しくてなかなかできないうちに病気になってしまい、これは約束みたいなものなのでやらなきゃならないと、私がテープ起こしをしたり、あちこちで書いたものを集めて、もう一度読み直したりして、でもそういう作業をしていたら、手塚の生き様というものがものすごく鮮明に見えてきたんです。それは、いつでもどこでも、子どもたちがいかに大切か、命がいかに大切か、そういうことを必死になって書いたり、伝えたりしているんですね。子どものときの育て方、育ち方。手塚は子どもの頃は虫が大好きで昆虫採集で虫をたくさん殺してきたんだけど、でもそれも『ガラスの地球を救え』※3 の中には、そういう体験があったからこそ、命を大切にしようという心が生まれたと語っていて、だからそういうことを全然しない子どもたちというのは、ある意味かわいそうだと。

※3 『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』
地球環境問題などを取り上げた手塚治虫の随筆集。執筆途中の1989年2月9日に死去したために未完に終わったが、講演会などでのコメントを追記し、同年4月に光文社から出版された。

ー 『ガラスの地球を救え』は25年前に書かれたものですが、情報化社会や環境問題をはじめ、科学やバイオ技術の進歩、ロボット、そして原発など、今の状況を予知したかような内容です。今、手塚先生が生きていらしたら、今の世の中をどう見て、どんな作品を描いていたでしょうか?

架空のSFものであっても、現状と近似しているというのはよくありますね。今の世をどう思い、何を描いたかは本人にしかわかりませんが、きっと、自分の主張を含めた作品を描いていたでしょう。それを子どもたちにどのように伝えようとするかは見てみたかったですね。いずれにしても、作品を読んでほしいと思っているでしょうね。

たとえば『荒野の七ひき』※4 という短編漫画があって、2人の地球人と5人の宇宙人が砂漠に投げ出されます。無情に照りつける太陽が7人の体力を徐々に奪っていき、飢えと渇きがピークに達したとき、宇宙人は自分の身をみんなに分け与える。主人公の地球人が、なんであなたは自分の身を削ってまでそんなことをするんだと言うと、「なぜ地球人にはこういう気持ちがないのか不思議だ」と、確かそんな宇宙人のセリフがある。短編にもいい作品がたくさんあるんです。ぜひ読んでもらいたいですね。

※4 『荒野の七ひき』
砂漠で宇宙人を殺し回っていた汎地球防衛警察同盟員は、車が爆発し移動手段がなくなったため、5人の宇宙人捕虜を連れて歩いて帰還する。水も食料もない砂漠で飢えと渇きがピークに達したとき、宇宙人たちは自らを犠牲にしてみんなを助けはじめ‥‥。

■次は手塚治虫先生の子育て、子育て中の親御さんへのメッセージ!

書籍「手塚治虫 壁を超える言葉」(松谷孝征(著)/かんき出版/1,400円+税)

  手塚治虫 壁を超える言葉

松谷孝征(著)/かんき出版/1,400円+税

「漫画の神様」と呼ばれた巨匠、手塚治虫。生涯で15万枚もの原稿を描き上げ、アニメーション制作に奔走した。その地位や才能に甘んじることなく常に努力を続け、亡くなる直前までペンを握り続けた手塚治虫の言葉を、手塚が亡くなるまでの16年間マネージャー役を務めた、現在、株式会社手塚プロダクション代表取締役社長の松谷孝征氏が紹介。人生を前向きに送るためのヒントが満載。手塚治虫が遺した言葉と、その背後にある人生哲学とは。

・書籍『手塚治虫 壁を超える言葉』はこちら

手塚治虫のマネージャー 株式会社手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征インタビュー

松谷孝征(まつたに たかゆき)

株式会社手塚プロダクション代表取締役社長。「漫画サンデー」(実業之日本社)で手塚治虫の担当編集者になったことが縁で、1973年、手塚プロダクションに入社し、手塚治虫のマネージャーになる。手塚作品のアニメのプロデュースを手がけながら、1989年、手塚治虫が亡くなるまでの16年間マネージャー役を務めた。1985年4月に同社社長に就任。手塚作品の著作権管理とアニメーション制作を行ないつつ、手塚治虫の遺志を継ぎ、アニメや漫画を世界に普及させるための活動を続けている。